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サミット総料理長・中村勝宏 料理人としての集大成 食はすべて環境に通じる
□産経ニュース 2008.1.6 11:23
サミットの料理を担当する「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」総料理長、中村勝宏シェフ
今年7月に行われる北海道洞爺湖サミット。その協議の重要性は言うまでもないが、各国首脳が顔をそろえる華やかな晩餐(ばんさん)会も注目を集める。料理を担当するのがメーン会場となる「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」の総料理長、中村勝宏さんだ。中村さんは、「料理人としての集大成」と意気込んでいる。(榊聡美)
≪勤勉さが高評価≫
昨年、フィーバーを巻き起こしたミシュランガイド東京版。中村さんはさかのぼること約30年前、本場フランスで、日本人として初めてミシュランの「星」を獲得したシェフとして知られる。「当時は料理人仲間が騒ぐだけで、日本のマスコミが取材に来るわけでもなく、話題にもならなかった」と時代の移り変わりに苦笑いする。
鹿児島県出身。高校卒業後、国内のホテルで働き、26歳で渡欧。主にフランスの“星つき”の名店で修業を積んだ。
「言葉も技術にもハンディがあって、最初は不安の塊だった。武器はただひとつ、フランス人の2倍、3倍働くこと。そうすると、少しずつチャンスを与えてくれる。ようは、人間的に信頼されないと、何も与えてもらえないのです」
≪無名店に「星」≫
1978(昭和53)年、パリの「ル・ブールドネ」のグランシェフ(料理長)を任された。しかし、店の経営状態が悪く、人を使う立場になっても獅子奮迅の働きに変わりはなかった。自ら早朝の市場に足を運び、昼に店を開け、ランチタイムが終わったら、デザートの仕込み…。お客を呼び込みたい一心で1日14〜15時間、休む間もなく働いた。 無名だった同店は、なんと翌年のミシュランガイドの一つ星店に名を連ねた。「勤勉さが評価された」。中村さんはそう自己分析する。
その半面、「“星”の十字架を背負ったようなもの。だから、ちっともうれしくなかった」とも。5年前、三つ星から降格されるといううわさを憂慮した「コートドール」の料理長、ベルナール・ロワゾー氏が自殺したことを例に挙げ、星は取ること以上に維持するのが大変だと強調する。
「江戸時代から日本の食文化は世界でもトップクラスですが、料理店をランク付けする文化はなかった。すべては『これから』ですよ」
≪北海道の味覚を≫
サミット開催にあたり、「ホテルメトロポリタン エドモント」の名誉総料理長を務めていた中村さんは昨年末、「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」の総料理長に招かれた。世界の注目が集まる場で腕をふるうことに、中村さんは「料理人としての集大成のチャンスをいただいた」と目を輝かせる。
2000(平成12)年に行われた九州・沖縄サミットでは、海ブドウやゴーヤーなど、沖縄の食材を使ったフランス料理が話題になったが−。
「北海道の風土の産物を使いますが、メニューはまだ白紙です。サミットの主なテーマである『環境』も考慮に入れるつもり。食はすべて環境に通じますからね」。
野菜や肉など、すでに生産者に発注した食材も。半年間、試作を繰り返しながら、メニューを完成させていくという。
「ごまかさず、丁寧に」。それが中村さんの料理哲学だ。本場で鍛え抜かれた腕で誠心誠意込めて作る料理は、舌の肥えた各国首脳をもうならせるに違いない。
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